第40回読書会『三木清 人生論ノート』
2019年1月27日、今年最初となる読み人倶楽部の読書会は、三木清の人生論ノートを取り上げた「100分de名著NHKテキスト」を課題本として、哲学者三木清の人生論ノートについて語り合いました。
このテキストでは、哲学者岸見一郎が難解と言われる人生論ノートをわかりやすく解説し、100ページ程度にまとめられているものです。
このテキストだけではなく三木清著の「人生論ノート」を読んでこられた方も二人おられました。
三木清は明治時代後半から第2次世界大戦といった日本の歴史の中でも最も激動の時であったと思われる時代を生きた哲学者で、人生論ノートには、「死」「幸福」「怒」「孤独」「嫉妬」「希望」など、人生の中で誰もが1度は突き当たるであろう問題が取り上げられています。
読書会ではまず「幸福」についてたくさん語り合いました。
成功と幸福の違い。成功から自由に?成功は手段。成功はゴール。幸福とは、いつも幸福だということ。
幸福はわかりにくい。幸福に形があるのか。自分が幸せだと周りにも表れるということ。無理に機嫌よくふるまうことについて。幸福でいることの難しさ。
どんな状態でも不幸のどん底でも面白がるエネルギー。幸福とは常に完結していて大げさに言えばいつ死んでもいい。
人によって幸福へ向かうパッションが違うのはなぜか?どういう形で育てるのか?
子供のころは誰もが創造的だが、いつしか幸福の代用品である娯楽に浸ってしまう。
などなど、たくさん語り合うことができました。
幸福以外では、虚栄心と名誉心。虚栄心や虚無ともつながるヴァニティという言葉。
知識人とは他の人間の作り得ないものを作り得る技術をもった人。
大量生産され押し付けられている道徳。虚無主義の危険性。大勢の人の中の孤独。孤独の価値。
執着があるからこそ死ねるとはどういうことか?
通俗の伝統主義の誤謬とはどういうことか?
生命は虚無ではなく、虚無は人間の条件。人生は虚無からの形成。
哲学者岸見一郎の解説があってもやはり難解な部分があり、みんなで考えながらの読書会でもありました。
実は今回、三木清の読書会ということでぜひ参加させてくださいと、とても素敵な方が参加してくださいました。
年代が違うということで最初は躊躇されたということでしたが、その人が語る三木清の人生論ノート、そしてその人自身の人生経験と生き方に感銘を受け、読書会は充実したものになりました。
そして、今回は最多となる8人での読書会でした。
みなさんといろいろと語り合うことができて楽しく、そして充実した時を過ごすことができたと思います。ありがとうございました。
ここからは読書会後に個人的にもう一度考えたことを少しだけ書かせていただきます。
執着があるから死ねるとはどういうことか?という難解なところがありました。
ここでいう執着とは、愛している人がいるということ。愛とはつながっているということ。つながっているとは、離れ離れとなってもつながっているということ。だから死ねる。死ねるとは、幸せだということ。
もうひとつ、 通俗の伝統主義の誤謬とはどういうことか? というところがありました。
伝統主義の誤謬とは、過去を現代の視点から勝手に読み替えてしまうこと。人の死は絶対的なものであり、過去も絶対的なものである。 過去様々な時代に、有名な人も無名な人も必死に生きていて、その連綿と続く生が歴史である。一部の解釈や主張を鵜呑みにしてはいけないということ。
以上、必死に考えてみました。
みなさんも、読書会後に考えてみたことなどありましたら、コメントお待ちしてま~す。
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