あのときの福島第一原発を考える『死の淵を見た男』
東日本大震災からもうすぐ10年、福島第一原発ではあのとき何が起き、人々はどう闘ったのか。令和3年2月21日、それを克明に記した『死の淵を見た男』を課題本に読書会を開催しました。(形式:オンラインリモート 参加人数:4人)
先に、15分ほど遅れてしまったことをお詫びいたします。💦
まずはいつも通り大まかな感想から…
- 本を選ばれた方の気合が伝わってきた。
- 多くの人に知ってもらうためにもう少しコンパクトにしてほしいと思った。
- 東電の幹部や官邸のいい加減さを感じた。
- 死を覚悟しなければいけない仕事を生み出さすことが問題。
- 死を覚悟するような仕事が許されていいのかと思った。
- 特攻隊という言葉が出てきたことに少し疑問を感じた。
- 専門的な人が語るのもいいけど共感の視点を与えてくれたとてもいい本でした。
- 門田さんの本「なぜ君は絶望と闘えたのか」を思い出した。
- ノンフィクション作家・文に力なかったがとてもフェアな書き方。
- 誰が悪いじゃなく、現場を混乱させた菅直人の言い分も書かれていた。
- 映画を観たが脚色されていてヒーロー化されている演出があった。
- 日本の政治のピンチの弱さが露呈したと感じ取れた。
- フクシマフィフティは海外メディアによって名付けられた。日本国民にとって現場で闘った人たちなのに。
- SNS上で東電社員を励ます人が批判され大炎上に、コロナ禍と重なる。
- 海外ではエッセンシャルワーカーの人に対して応援、対して日本では攻撃、国民性が露呈。
- 放射線に汚染されている中、現場で闘った人たちはどれだけ恐ろしかったか。
お二人から死を覚悟するような仕事の問題が挙げられました。
死を覚悟は重すぎる。逃げ場のない状況、こういう人たちが出るのはおかしすぎる。
その通り、組織はこういった状況に陥らないために危機管理をしっかりと行わなければならない。
ただ、警察や自衛隊の方など、死と隣り合わせで働く人たちがいてそういう人たちが必要だということ。工場や現場で働く人はちょっとした気のゆるみや操作ミスで命を落とすこともある危険と隣り合わせの仕事をしているということ。どんなに危機管理をしっかりしていても、それを超える想定外のことは起こり得るということにも目を向けたい。
それから、この本では取り上げられていませんが原発の賛否についてもたくさんの意見をいただきました。
そもそも使用済み核燃料の処理の問題が解決されていないのに、原発を続けていいのか?
原発をやめれば火力に頼ることになるし、かといって自然エネルギーにも風力の騒音など問題があるし。
資源の乏しい日本では原発に頼らざるを得ないのか。
日本の周りの海底にはメタンハイドレートと呼ばれる資源が眠っていて、活用が期待されている。
代替え燃料ができるまで、現在の発電方法で繋いで、少しずつ原発を減らしていくことが理想か。
その他にも多様な意見が生まれました。
東電本店の人が何を思っていたのかを詳しく知りたかった。現場に乗り込むべきは総理ではなく、現場のことを把握する必要のある本店の人ではなかったか。
特攻隊には本人の意思ではなくかわいそうな人というイメージがあり、福島第一原発で戦った人たちと重ねることに疑問を感じた。
(別の意見として)特攻隊にはそういうイメージはなく、英雄視するわけでもない。ただ、その人たちのそういった歴史の上に自分たちがいるという事実だけであって、そこには感謝しかない。そういう意味で違和感はない。家族のために、故郷のために、日本のために闘ったのは、それはだって事実だから。
著者、門田隆将さんについて、他の本(新聞という病)を読んでみたが、〇〇新聞と〇〇新聞が大嫌いでイデオロギーがやばい人だと思った。
(他の意見として)マスコミの偏向報道問題については今の日本にとって最重要課題だと思っていて、なぜかというと、一次ソースを知ることが難しい私たちにとって、マスコミの報道に頼らざるを得ないところがあって、それなのに、大事なことを報道しなかったり、切り取ったり捻じ曲げたり、印象操作したり、片側の意見ばかり強調したりでは、そもそも国民で議論する前の段階で、事実をきちんと知ることができない。著者のように声をあげている人たちは危機意識が非常に強いだけだと思う。
吉田所長について、もし彼がいなかったら、彼でなかったならどうなっていたのだろう?原子炉を冷却し続けられたのは彼の発案と判断力が大きな力となっていた。もし、冷却が失敗していたら、関東と東日本が避難区域に、そして北海道と西日本とが分断されていた可能性があった。
代わりに誰かが力を発揮していた可能性もあるが、窮地を救ったのは吉田所長の力が大きかったと思われる。
ひーちんの個人的な感想。
泣けたところ2か所を紹介します。一つ目は、地震発生後点検のために地下に行って津波に襲われて亡くなられた方のお話。地震発生後、家族のことが心配で青森県むつ市の実家に電話し、親と会話した優しい青年は成績も優秀で、なぜこんな人がなくならなければいけなかったのか、神様はいないんだと思ったんですが、彼と同じ作業仲間8人が家族に電話し、亡くなられた二人だけが電話がつながったと知ったとき、やっぱり神様はいるのかもしれないと思った。生死はどうすることもできないけれど…
もう一つはエピローグにて最前線で闘っていた伊沢郁夫さんが住民の方たちと会うことになったときのこと。住民であり、東電の社員でもある自分がどう詫びればいいのかとそんなことばかり考えていた彼に対して、ありがとうと拍手が沸き起こったこと。そして、伊沢さんの目から涙があふれたこと…。
読書会でも、みなさんがそうそうと言ってくれました。ここで泣ける人と共感したいと、そう思いました。
読むのがギリギリになってしまい、「おわりに」と「文庫版あとがき」と「解説」を読書会後に読みました。
2001年アメリカで起きたテロと、2004年スマトラ島沖地震の大津波のとき、「電源喪失」という事態が起きかねないことが議論になったが、それを想定しようとしなかった。行政も事業者も安全よりも採算を優先したことは問題であり、同じようなことを起こさないために忘れないようにしたい。
吉田調書問題についても書かれていました。
震災から間もない時期に数多くの取材をされ、徹底的な事実主義の下に書かれた本書からあなたなら何を感じどう考えるだろうか。
読書会ではここに書ききれないほど(覚えきれないほど💦)、たくさん話すことができました。脱線して森さんの話にまでなったり!
自分とは違う意見がでてもこの読書会ではそれを聴くことができるし、一緒に考えることができます。読書会は終わりましたがまだここで話ができます。見るだけでもいいです。よろしくお願いします。
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