三島由紀夫の『金閣寺』は青春小説だった
今度の読み人倶楽部は、高尚な本にチャレンジしてみよう!ということで三島由紀夫の『金閣寺』を取り上げ、読書会を開催しました。
『金閣寺』は昭和25年の夏に、実際に起こった金閣寺の放火事件が元になっていて、三島文学の不屈の名作とも言われています。
まずは一人一人の大まかな感想から行ってみよ~
- 読み始めは苦痛だったが、読み進めるうちに心地よくなっていった。
- 主人公の内面の表現の素晴らしさを感じた。
- 日本語力、表現力が豊。これほどの作家が日本に今いるだろうか。
- 三島の解釈、表現がものすごい精度。
- 主人公の狂人ぶりがおもしろかった。
- 小説のエンジンともいえる人の内面と外との葛藤、一つのモデルケースとしてくそおもしろい。
- 「NHK100分で名著」の再現アニメーションで、幻想の金閣寺が現れるシーンが笑える。
- 人の内面と外との葛藤ではないたくらみも感じる。
- 主人公溝口と老師の関係が疑心暗鬼で南泉斬猫の講話のようになったいたり、ギミックに富んでいる。
- 南泉斬猫の南泉和尚は許せない。靴を頭にのせた趙州も意味が解らない。(作られた話なら分かるかも。)
- お母さんが言ってくるのが嫌。
- 老師の攻略、許されたり許されなかったりがおもしろかった。
- 二十歳のとき戦争が終わって価値観がすべて消えた。
- ノストラダムスの予言で二十歳まで生きられないと思っていた。
- 鶴川と柏木の関係、自殺ショック。
- 『潮騒』は難解で挫折したけれど比べれば読了できてよかった。
- 三島にしか書けない文体が確立されていて、天才。
- 病んでいく人、狂っていく精神疾患の人、世の中に対するとらえ方は一緒。
- 愛されていない、認めてもらえないが強くベースにある。
- 三島が心理学をどこまで調べたかわからないけれど、三島本人にもそういったことがあったのか。
さらに話を深めていきました~
- 実際にあった事件の犯人の心の変化を詳細に描いている。
- 心の変化、明晰、言語化しすぎている。
- 動機を解明というよりか、事件を元に新しいものを作っていると感じた。
- 身体的障害という点で三島と主人公で共通している。虚弱体質と吃音。
- 健常者以外の人を世の中がどのようにみているか。
- 全力で生きたけれど…。
- 戦前の金閣寺は本当にきれいだったのか?
- アンチテーゼ「実際の犯人は最後自決しようとする」↔「作中の溝口は最後生きようとする」
- シンメトリー「人生」↔「金閣」「永遠に入り込んだ」↔「瞬間」「世界」↔「私」
- 心に残る表現がかっこいい。
- 鶴川→誰とでもニュートラルに接する。若いのにすごい。
- 老師→なりたい。自由すぎる。
- 「柏木」は認識と折り合いができているが、溝口はテロを行うしかなかった。
- 文学を読むとき読むたびに新しい発見があるが、『金閣寺』は創造的な読み方が難しい。
- 「見る」が一つのキーワードに。「金閣の目になって」「老師の友の目」「義満の像の目」父が唯一目隠しをした。父は守ってくれる存在でもあり、いかに超えていくかといった存在でもある。
父が目隠しをしたシーンにこんなに深い意味があったとは…!
ただのいやらしいシーンだと思っていた自分が恥ずかしい…。
最後の方に老師の友が登場したのにはどんな意味があったのか?
- 放火を思いとどまる最後の可能性として登場した。
- 溝口の良心として登場した。
- 心にあることを口に出すということが一つのテーマとしてあって、作中に出す出さないがあって、ここでは出さなかった。
などなど、この他にも拾いきれなかった話があり、話そうと思えば無限に話題がでてきそうな読書会でした。
最後に昨年出版された新装版に掲載されている、恩田陸さんの解説の一部を引用したいと思います。
…かつて『金閣寺』を読んだ時、私は「日本文学」あるいは「純文学」として読んだ。
『金閣寺』(新潮文庫 新装版)373p
しかし、今読んで感じるのは何よりも「青春小説」であるということだ。むしろ、現代の、21世紀の人間の方が「私」を自分のように感じられ、この小説を青春小説として読めるのではないか。
世界に対する違和感。疎外感。乖離感。
自己嫌悪。自尊心。自家撞着。
生々しく迫ってくる、「私」の感情。
(中略)
どの文章も、ああそうだった、私もそう感じていた、あれはそういうことだったのだ、と胸を突かれる。
特に今読むと、「私の感情はいつも間に合わない」というところに強く共感する。きっと、小説を読もう、文学に触れよう、という人は誰もがそう感じているのではないか。…
終わる前に私の感想をちょっとだけ。
正直暗い話だなと、苦手意識のまま読み進めていました。が、読んでいくうちになぜか心地よくなっていきました。それは、最初そうでもないと思っていた曲が、聴いているうちに心地よくなっていくのと似ている感覚でした。そして、読書会では、一人では気づかなかったたくさんのテーマや表現力に気づき、この作品の素晴らしさを体験することができました。
読書会後に少し読み直して改めて思ったことは、主人公がしていること(行為)は、どれもこれも、とても共感できるものではなく、嫌悪感でしかないのだけれど、主人公が感じていること(内面深く表現されている感情)は、自分の過去を振り返ってみれば「それある!」と思えることばかりだったということ。
恩田陸さんが言っている「青春小説」は、読書会でも全会一致で納得でした。
三島由紀夫の『金閣寺』は、青春小説でした✨
コメントを残す