第48回 読書会『小説 天気の子』
令和元年9月22日、雨が降りそうで降らない薄曇りの午前、 今年話題の映画『天気の子』の、新海誠監督自身が執筆した原作小説、『小説 天気の子』を課題本に取り上げて読書会を開催 。
今回の開催場所アイプラザ豊橋に集まったのは8人。そのうち映画も観たという人は6人でした。
(以下、ネタバレにもなるので読んでいない方は閲覧注意願います。)
『天気の子』は高校1年の帆高が東京で不思議な能力を持つ少女陽菜と出会い、運命に翻弄されながら自らの生き方を選択する物語。まずは、大まかな感想やこの本に対して言いたいことをそれぞれに聴いてみました。
- 最後のシーンをどう感じたかみんなに聴いてみたい。ハッピーだと思うけれど後々のことを考えると不安を感じる。
- 映画を観てから小説を読んだので、どう考えているのかわからなかった部分がわかったり、不思議だと思っていたところが納得できた。
- ライトノベルのようにさらさら読めたうえに文章がしっかりしていた。
- 少年ジャンプのヒーローとは対照的で、ヒーローが何とかしなくてもいい、投げ出してもいいという新しい価値観がためになった。
- 小説を読んだ後に観た映画は想像通りだった。
- 登場人物たちの視点の切り替わりがおもしろい。
- 誰かが犠牲になるのではなく、自分の本音を優先したところが印象的。
- 誰かが犠牲になって社会は回っているのに見てみないふりをしている。 社会、人間の強欲さへの問題提起だと思う。
- 原発や交通事故のように人間がコントロールしようとしてできない、便利さや利益を手放せないのと重なる。
- 多くの人の晴れよりも目の前の陽菜さんを取り戻せたのはハッピーだった。
- 人間関係のバランスが崩れているところからハッピーエンドへといったところは予想通りだった。
- 須賀さんの感情に妻と娘の対立軸があっておもしろかった。
- 夏美さんがかわいい。
などなど、たくさんのすばらしい多種多様な意見を聴くことができました。
その中でラストシーンについて話題にしてみることに。
- 成長する物語が多い中、帆高はラスト成長してないのでは?
- 二人だけの世界に不安を感じる。
- 陽菜さんに会うまでの帆高の思考を読み解くと成長していると思う。
- 得るものと失うものがあって成長。何も失っていない帆高は成長と言えるのか?
その他話題になったこといろいろ。(一部)
- 凪の最後、飛びかかるシーンがぐっときた。
- 帆高には伝わらない大人の思い、そして突っ走っちゃうところがいい。
- 陽菜が何に対して身を挺したのか?陽菜の内面が少ない。葛藤が描かれない。
- 帆高の銃と陽菜の力、男性的女性的で力の対比がおもしろい。
- 疑似家族としていろいろなパターンが描けれていた。
最後は犠牲と社会について。
誰かが犠牲になって社会は回っているという話を交通事故にたとえてみると、車は便利なのでなくならない。けれど交通事故で少なくない人たちが犠牲になっている。小さい子の命まで奪われる。誰かが亡くなってはじめて対策が打たれる。犠牲者を出すのをやめて車をなくしてしまっても、実は社会は何とかなって回っていくのでは?
車によって利益や便利さを享受しているのも私たち。交通事故で被害を受けるのも私たち。どうしたら同じような悲惨な事故を繰り返す現状を変えることができるのか、私たちが真剣に考えなくてはいけないのだと思います。
この物語は帆高が社会全体と対立する話。最後は陽菜さんと生きる道を選択する。ラストシーンはスタートであり、希望だと思います。ここから二人は成長しそれぞれの世界を作っていくのではないでしょうか。
人と人が出会うことは、この物語のようなボーイミーツガールでなくとも希望なんだと思います。新たな出会いは新たな世界を作っていく希望となるはずです。
今回の読書会では一人での読書で得たもの(感動や発見や想像など)が数倍になったことをいつも以上に実感したような充実したものになりました。
参加いただいたみなさんありがとうございました!
参加できなかった方もコメントお待ちしてま~す。
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