夜と霧を読んでそして読書会を経て

夜と霧を読んで、読書会をを経て、またもう一度深く考えさせられ、その思いを記しておきたい、そしてこれを読んでくれた人に伝わればいいなと思います。

この本は、心理学者の強制収容所での究極の体験記であり、それは想像を絶するものであろうと思いますが、似たような心理状態は普段の生活でもあるのだと思います。

読書会ではそういった意見があり、振り返れば自分も、読みながら普段の仕事や日常生活に当てはめて考えながら読んでいたのを思い出しました。

どこか、普段から感じている苦しさというものに対して、その答えを求めるかのように読んでいたのです。

なので、前半は苦しみを味わいながら読んでいて、後半は希望を抱きながら読んでいたような気がします。

強制収容所で実際に究極の苦しみという体験をした心理学者が、誰にでもわかるように、その体験による絶望と希望について語られている。

つまりこの本はとてつもない説得力を持って、我々に生きる希望を示してくれているのだと思うのです。

わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。

夜と霧 新版 129ページ

読書会の中で、「わたしたちが生きることからなにを期待するか」と、「生きることがわたしたちからなにを期待しているか」の違いは何なのか?という疑問がありました。

以下はあくまで私の解釈です。

「生きることから期待する」とは、 他者が何を与えてくれるのかと期待するような他人任せな態度であり、他者や環境が絶望的な状態ではそのまま絶望するしかなくなってしまう。

一方、「生きることがわたしたちに期待している」とは、本書でもその後の文章に出てくるように、他者から何かを期待され求められることであり、それに答えること。

自分が必要とされている、誰かに貢献できているその状況こそが、希望に満ち溢れているのだと思います。

以上、読書会後にもう一度深く考えてみました。頭をフルに使って考えても言葉にしようとすると難しい!

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